まだオリンピック

暴漢に襲われたリマが立ち直って三位になったのは優勝にもまさるすばらしいことだと思ったが、それをブラジル人の偉大さとかいってしまうのは結局ニッポンがんばれというのと同根ではないのか。
『ニッポンがんばれ』の人も『ナショナリズムだから見ない』の人も、アスリート個人の動きや技にはあまり目を向けていないようだ。たとえ国旗を背負わされていようと、アテネのあの42,195キロは個人の闘い以外の何ものでもないだろうに(しかし私は、生まれ変われたら猫か飛び込み選手にはなりたいが、マラソン選手と日本人の女だけはごめんだ)。
昔は日本人の出る出ないにかかわらずあらゆる競技が延々放映されていたものだったが、最近偏りが大きく、それは日本人選手が強くなったからいたしかたないのかと思っていたけど、IOCの決める放映権料が前回比数百パーセント増で高騰してゆくため、視聴率のとれないものまで買えないのだと知人に聞いた。そんな事情であれば、世界のすべての国家で『どこどこ(国の名)がんばれ』的な放映になってしまうのは避けられないだろう。
アメリカのオリンピック放映のハリウッド的超編集は実地で知ったが、フランスも相当ひどいらしい。