ネペンテス

「外国語で書くと文章に穴があるから、その穴から気持ちが直接飛び出していくことがよくある。また、外国語では「巧みな言い回し」などというものに頼らないから、映像をはっきり出すしかない。型にはまった物の見方をうまく引用できないから、何もかも自分の頭で考えないとならない。だから、嫌でも真剣さが出る。滑稽さも出る」「「外国語文学」の時代」『カタコトのうわごと』青土社、1999年、p.130.
これは多和田葉子が自分がドイツ語で小説を書くことについて述べた文章だが、今まさに同じ気持ち。本当に苦しい。
同じ『カタコトのうわごと』の中で、多和田葉子が何度となく能について書いているのをこれまで読み飛ばしてきたけれど、『球形時間』とも無関係ではないことに気がついた。〈歴史〉はその犠牲者である死者の舞台として描かれている、ということ。死者の帰還は、意識的に呼び起こされる記憶ではなく、夢の中で、向こうから倒れかかってくる記憶と似ていること。過去の再現が行われるのでなく、思い出すという作業自体が問題となること。過ぎ去った時間は、死者の身体を通して現在のものとなり、鎖のように事件がつながっていくだけの〈均質で空虚な時間〉として表現されずにすむことなど(p.168−169.)。
こういうことを考えても、また英語にするのが大変だ…。
ノウゼンカズラとネペンテスの鉢を買う。ネペンテスは食虫植物。つやつやした縦長の葉の先から蔓みたいなものが出ていて、その先にぶら下がるのではなく、掬い上げられるようなかたちに蓋つきの袋がついている。そこに虫がかかる仕組み。去年の夏に買った茎全体が管状になった食虫植物(サラセニア)はすぐ枯れてしまった。ネペンテスには虫をたくさん食べて元気でいてほしい。
昨日はオレンジがかっていた満月、今日は白い。