ピナ・バウシュ

日本をテーマにしたピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の新作、『天地 TENCHI』を観る。舞台は、巨大な鯨の尻尾と小島めいた胴体が浮かび上がる海面。時間を経るごとに白いものが降り積もる。
鯨が『古事記』や柿本人麻呂にも関係深いものとは知らなかった。麝香がマッコウクジラの腸から採取できるのも知らなかった。私は鯨、鯱、海豚などの形態、質感、大きさ、行動などには憧れがある。
作品全体としては、ここ数年来の感想に違わず、あまり強く感じるものがなかった。初めのほうに出てくる、海中を潜水していくような動きは、セットとの関係もあって面白いと思ったけれど。作品を作るにあたって、ピナは日本をずいぶんリサーチしたらしいが、舞台に出てきたのは、西洋人のお決まりのイメージ:キモノ、オジギ、カメラ…。あのピナが感じ取れたのはこんな程度なのか?
ダンサーの世代交代による空気の違いも大きい。80年代、90年代、ピナのダンサーは立っているだけで異界を見せてくれるような、いわば化け物集団だった。メヒティルド・グロースマンやドミニク・メルシーらがずらりと並んで同じ振りをすると、それだけで不気味さが広がった。それに引きかえ、そこそこカッコよかったり、美人だったりする最近の若手ダンサーたちが見せるソロダンスの退屈さ…。
ピナ・バウシュの舞台にはつきもののナンセンスなギャグは、あの不気味さや痛々しさ、底知れない孤独さと一緒だから腹が捩れるほど笑えた。
1999年6月、『フェンスター・プッツァー』を観た時の苦しいほどの笑いを今もはっきり思い出せる。あの日を最後に、私は本気で笑ったことはない。