マリーズ・コンデ

Maryse Condé, Histoire de la femme cannibale, Mercure de France, 2003
舞台は南アフリカケープタウン。20年来同棲しているスティーヴンとともにここで暮らすロズリーは無名の画家でグアドループ島の出身。
ある夜中、家を出たスティーヴンが街中で何者かに殺される。犯人はわからず、刑事がロズリーを訪ねるようになる。ロズリーは英文学者で大学教師のスティーヴンに経済的に依存していたため糧をうしない、友人の混血女ディドの勧めでマッサージ師(というかヒーラー)を開業する。(この患者たちの名前、年齢、国籍、職業などが小説の随所に挟み込まれ、その物語がアネクドティックに展開する。政治犯、レイプされた少女など)。
ティーヴン生前の二人の生活が遡って語られる。スティーヴンのイギリス人の父とフランス人の母はほどなく離婚し、親から無関心のまま成長する。数年前、N’Dossouで二人は出会い(ロズリーはパリから前夫のミュージシャン、サラマ・サラマとこの地に渡っていた)、スラム街にストゥディオを借りて同居を始める。スティーヴンは外や内でのパーティーにロズリーを伴うようになるが、黒人のロズリーはしばしば女中扱いやとまどいの眼差しを受け、同伴しなくなる(スティーヴンの葬儀で感じた親族、友人たちからの疎外)。一方、白人男と黒人女のカップルが集まるサロンには頻繁に顔を出し、そこでの議論で挑発的なスティーヴンは常に注目を浴びていた。
彼女は自活もできないのにスティーヴンとは結婚していなかった。スティーヴンの庇護により造形学校に通わせてもらい、展覧会も開いてもらう。その作風は暗く残酷。子供時代は強姦された女の絵を描き、教師をとまどわせた。「自分は強姦されている。父に母に世界中に」160.父の裏切りを機に崩壊した母は結婚後肥満となり、16年長椅子から23年ベッドから動けないまま65年の生涯を終える。母が危篤の時、スティーヴンは島へ同伴してくれない。ロズリーはパリから直行せず、安宿で知らない男と数日過ごす。島では親不孝な娘と思われるが、母の死を看取る。一方、父がクレオールダンディとして愛人宅で死んだ時は帰国を拒否。スティーヴンの母には「孫を抱けないの」と責められるが、ロズリーは母性を嫌悪し、弟たちの世話を押しつけられたスティーヴンも子供を憎む。
犯人を探しながら、癒しの仕事を続けるロズリーはルワンダの虐殺に立ち会って以来眠ることのできないフォスタンに出会う。二人は愛人関係に陥るが、フォスタンはほとんど自分の情報を与えず、やがてワシントンDCに発ってしまう。ある日、地元紙を読んでいたロズリーは、二重、三重生活を送る夫を殺し、切り刻んだ女フィエラの記事に惹きつけられ、自分と重ねあわせる。犯人探しに奔走するなかで、スティーヴンが人からどう見られていたかを知ってゆくロズリー。今まで表に出なかった隣人ヒルスター夫人の批判、ディドの批判…。「ロズリーを自分自身でいさせなかった」、カリバンのイメージとしてのロズリー。159スティーヴンもまた人喰いのイメージ161.
フィエラの事件がメディアを賑わせ続ける。魔女として扱われるフィエラ。ロズリー、自分や女一般の運命を考え211、フィエラと双子の姉妹のように思う237。死刑のない南アでフィエラに15年懲役が確定すると人々からブーイングが起きる。こんな事件に政治的価値がないと見る、イライラさせる南アの寛大の哲学。南アについてのロズリーの見方:エイズよりひどいレイシズム40。南アではすべてがspectaculaire。一滴の血も流れず、土地改革もアフリカニゼーションもなく、植民者の像もそのままで、来た時から嫌い、だが変な魅力のある場所46。
ティーヴンの同性愛者としての二重生活が明るみになってくる。日本人青年フミオとの同棲、黒人青年クリスをたぶらかし、ロンドンで堕落させた過去、詩人志望のネパール人青年ビシュパルとアルシュ、スティーヴンの三角関係(結局、アルシュが犯人とわかる)。グアドループの諺:見ない者は幸せである。ロズリー、見かけは違っても、自分と母の人生は似ていると思う。スティーヴンのため留まるつもりだったが、土地を去る決心をする。
フィエラの獄中自殺。ロベン・アイランド(かつて政治犯を収監)へ追悼に行く。ケープタウンの町とこれまでにないつながりを感じ、留まろうと思い直す。犯人逮捕で事件が話題になり、ディドの手助けでロズリーの絵が売れる。ロズリーはスティーヴンの知人で白人のマヌエルから旅行に誘われるが、もう男の意志に左右されたくはないと断る。ロズリーは絵筆を取り、キャンバスに二つの目を描き始める。